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アーカンソー (戦艦) : ミニ英和和英辞書
アーカンソー (戦艦)[あーかんそー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アーカンソー : [あーかんそー]
 Arkansas
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦艦 : [せんかん]
 【名詞】 1. battleship 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

アーカンソー (戦艦) : ウィキペディア日本語版
アーカンソー (戦艦)[あーかんそー]

アーカンソー(''USS Arkansas'' 、''BB-33'' )はアメリカ海軍戦艦ワイオミング級の2番艦である。艦名はアメリカ合衆国26番目の州にちなみ、この名を与えられた艦としては3隻目である。
太平洋戦争開戦時には既にの威力、装甲速力等の戦艦を構成する要素全てで旧式戦艦となっていた。開戦後に順次、電子測定・照準装備・戦場統制システム対空兵器の換装が行われた。
== 艦歴 ==
アーカンソーは1910年1月25日にニュージャージー州カムデンニューヨーク造船所にて起工した。1911年1月14日にナンシー・ルィーズ・マコンにより命名、進水した。1912年9月17日に初代艦長ロイ・C・スミス大佐の指揮下、フィラデルフィア海軍工廠で就役した。
アーカンソーは就役後、10月14日にハドソン川タフト大統領の閲艦を受けた。その後タフト大統領はアーカンソーに乗艦し、パナマ運河の視察に赴いた。記念式典の後にアーカンソーは整調訓練のためキューバ水域に巡航した。その後タフト大統領をフロリダ州キーウェストに送り届けるため、12月26日にパナマ運河地帯へ戻った。
続いてアーカンソーは大西洋艦隊に合流し、東海岸沿岸で演習を行なった。最初の海外巡航は1913年10月後半のことであった。アーカンソーは地中海でいくつかの港を訪問し、1913年11月11日にはイタリアナポリを訪れ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の誕生日を祝賀した。
1913年10月にメキシコクーデターが発生し、ビクトリアーノ・ウエルタが政権を握った。ウッドロウ・ウィルソン大統領はウエルタ政権を認めず、ウエルタに辞任と再選挙を行うよう要求した。メキシコの混乱は継続し、アメリカ海軍はアメリカ人保護のためメキシコ水域への艦艇を派遣した。
緊張状態の中偶発事件が多発し、1914年の春にはタンピコで小競り合いが生じた。ウエルタ軍への武器がベラクルス港に到着予定だったことが判明し、ウィルソン大統領は港で輸送船を拿捕し、武器の上陸を防ぐよう海軍に命じた。
ヘンリー・T・メイヨー少将指揮する艦隊がメキシコ水域で活動していたが、ウィルソン大統領はチャールズ・J・バジャー少将の大西洋艦隊をベラクルスへ派遣した。アーカンソーはベラクルス上陸に参加し、17名の士官と313名の水兵から成る4個大隊を上陸させた。部隊はアーサー・B・キーティング中佐が指揮を執り、その中には後にベラクルスでの英雄的行動で名誉勲章を受章したジョナス・J・イングラム少尉、第2水兵連隊で砲撃を指揮したジョン・グレイディ中尉がいた。
上陸は4月22日に行われ、アーカンソーの兵士達は市街戦に参加しベラクルスを占拠した。2名の二等水兵、ルイス・O・フライドとウィリアム・L・ワトソンがその日の戦闘で戦死した。アーカンソーの部隊は4月30日に艦に戻り、艦はその夏メキシコ水域に留まり、9月30日に東海岸へ帰投した。ベラクルスでの滞在中、5月10日にドイツのアメリカ大使館付武官フランツ・フォン・パーペン大尉、5月30日にイギリス海軍クリストファー・クラドック少将の訪問を受けた。
アーカンソーはバージニア州ハンプトン・ローズに10月7日到着し、一週間の演習後改修のためニューヨーク海軍工廠入りする。改修が完了するとバージニア岬へ向かい、南部演習海域で訓練を行なった。12月12日にアーカンソーは再びニューヨーク海軍工廠で補修を受けた。
1915年1月16日に再び出航し、1月19日から21日まで南部演習海域で訓練を行う。訓練が終了するとキューバのグアンタナモ湾へ向かい、4月7日にハンプトン・ローズに帰還した。その後再び南部演習海域で訓練を行う。4月23日にニューヨーク海軍工廠に向かい、二ヶ月に及ぶ修理を受けた。修理の完了後、6月25日にロードアイランド州ニューポートに向かい、ナラガンセット湾で水雷訓練及び艦隊演習を行なった。
8月27日にハンプトン・ローズへ帰還すると、10月4日までノーフォーク水域で演習を行い、続いてニューポートへ再び巡航した。ニューポートでは10月5日から10月14日まで戦術演習を行なった。10月15日にアーカンソーはニューヨーク海軍造船所の乾ドックに入った。11月8日にハンプトン・ローズへ戻り、定時訓練期間の後、アーカンソーは10月19日にブルックリンへ戻り修理を受けた。修理完了後1916年1月5日にハンプトン・ローズへ出航し、休養のため停泊した後冬季演習のためにカリブ海へ向かった。
アーカンソーは西インド諸島およびグアンタナモ湾を訪れ、3月12日に帰国しモービル湾で水雷演習を行なった。その後3月20日にグアンタナモ湾へ向けて出航し、4月中旬までそこに留まった。4月15日にオーバーホールのためニューヨーク海軍工廠に入った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アーカンソー (戦艦)」の詳細全文を読む




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